Patience Africa - Wozani (La Casa Tropical)
Patience Africa(1938-2007)は南アフリカ・ダーバン出身の女性歌手/ソングライター/俳優であり、そのキャリアは40年以上に渡ります。9人の兄弟の長女として生誕しましたが、7歳の頃には、母親が彼女を置いてヨハネスブルグへと移り、彼女は叔母と祖父によって育てられることとなるなど、母親との関係は確執・緊張状態にあり、子供の頃は感情的に厳しい時代を過ごしたそうで、その体験は彼女の多くの曲の中にインスパイアされています。それらは反省的で哲学的な内容であると同時に、都市や町で生活するリスナーへと、生活にどのようにして対処するかについての実用的なアドバイスを提供するものとなっていました。彼女は、23歳(1961年)の時に、短命のインディペンデント・ラジオ・レコード会社のために初めてのレコードをリリースしてそのレコーディング・キャリアをスタートします。彼女は当時、ダーバンを拠点とするマネージャー、Roxy Jilaによって運営されていたJazz Sledgeと呼ばれる人気のあるグループの一員でした。
グループがヨハネスブルグに行った時には彼女はそれに同行しており、そして、それから同地へと留まることとなります。彼女はすぐに南アフリカ最古にして最大のレコード会社であるGallo Record Companyとその半子会社であるGramophone Record Companyに勤めている音楽家たちの輪に出会いました。彼女は、Gallo Record Companyで、Reggie Msomi's Hollywood Jazz Bandと共にレコーディングしました。そこでは、West Nkosi(ムバカンガの音楽様式の同国のインストゥルメンタル・バンドであり、Makgona Tsohle Bandのオリジナル・メンバーであり、ミュージシャン/音楽プロデューサー/レコーディング・アーティスト)など豪華なメンバーがバックを務めています。
彼女はGalloのサークルの女性音楽グループで、1950年代から活動しているThe Skylarksのリード・シンガーも務めていました。このグループは、グラミー賞を受賞している同国の歌手であり、「アフリカの歌の女神」と呼ばれたMiriam Makeba(1932-2008)のボーカル・グループとして始まりました。Makebaが海外へと渡ることになった時には、もとより、MakebaがThe Skylarks のメンバーとして見出していたAbigail Kubheka(同国の歌手/ソングライター/アレンジャー/俳優)へとThe Skylarksは引き継がれることとなります。また、The SkylarksにはMichael Jacksonのバック・シンガーも務めたLetta MbuluやMary Rabotabaなどといったレジェンド歌手も参加していました。Patience AfricaはThe Skylarksによる数枚のレコードに参加しているようです。
1965年にはSimon Negmaと結婚して音楽を離れ、4人の子供を設けていました。70年代にSimonが彼女の元を離れるまでは完全に音楽を廃業していました。夫と離婚してからは、4人の子供を養育するためにキャリアを再開することとなります。彼女はプロデューサーとしてWest Nkosiと共にGalloへと戻り、ようやく真剣に認められ始めました。彼女は、Jacob “Mpharanyana” Radebeや、Mahlathini and the Mahotella Queens、Themba Mokoena、Ray Phiri、Ladysmith Black Mambazo、Mac Mathunjwaなどと共演し、Mac MathunjwaのバンドであるThe Pedlersとも共作。1977年には、1stシングル”Ilanga Malishona”でBest Female Vocalist賞を受賞。”Siyabonga (Thank You)”、”Nteledi Moratuwa”、”Thusha Marena”などの曲もラジオ局から賞を受賞しています。
彼女の曲で最も有名な歌は、同国のソウル・シンガーのMpharanyanaが1979年に亡くなったことに際して、West Nkosiと共同でMpharanyanaへのオマージュとして製作された”Robala ka Khotso”で、彼女の葬儀でもこの曲が演奏されています。80年代半ばからは音楽的な趣向が変わり、Yvonne Chaka ChakaやBrenda Fassieなどのバブルガム・ミュージックや同国のレゲエ歌手Lucky Dubeのレゲエへと接近し、ファンキーなシンセサイザーを伴ったソウル・フルなサウンドへとアプローチ。90年代には南アフリカのクラブ・ミュージックである”Kwaito”(クワイト)などを取り入れていくことになりました。ゴスペルと米国のソウル・ミュージックの影響を受けた、彼女の洗練され、複雑で高度にアレンジされたその音楽は時代遅れになっていきましたが、2006年には、彼女の息子Sandile Ngexaによって、スタジオへと戻るように説得され、Galloによるプロデュースのもとで最終アルバム「Ungabombokela Jhansi Ubuntu」を製作。翌年の2007年には心臓関連の病気でこの世を去っています。40年以上に渡るそのキャリアの中で、その才気溢れるズールー・ディスコ・サウンドはメジャー・レーベルでもほぼ10年間の成功を収めました。
本作は、1987年に契約したレーベルであるReamusicからリリースされた12インチ「Wozani La」から二曲を収録したシングルであり、Reamusic主宰者でプロデューサー/アレンジャーのDanny AntillとClive Riskoからの正規ライセンス。discogsなどのマーケット・プレイスに出品された形跡もなく、オリジナルの入手は不可能とも思われます。オリジナルは、エレクトロ・ポップやスウィング・ビートのグルーヴなどを横断しており、大きな可能性を秘めていた作品でしたが、貧弱な宣伝によって売上は低調に終わったために騙されたように感じた彼女は1セントも稼げずにレーベルを去ると、70年代初頭以来となる活動休止に入ることとなり、それは最終アルバムを製作する2006年の再始動まで続きました。彼女の死から10年、2017年には、息子のMangalisoによって、Patience Africa Foundationが創設され、彼女の歴史は記録され続けています。
本作は、南アフリカのソウルやディスコ、ブギー、クワイトなどを発掘リリースしている新興レーベル&オンライン・ショップであり、Kirk + DeneなるDJデュオが運営しているLa Casa Tropicalから公式発売予定で現在プレオーダーが始まっています。
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